大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)118号 判決

上告人

島村粂司

右訴訟代理人弁護士

蔭山好信

被上告人

橋本茂

右訴訟代理人弁護士

尾高忠雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人蔭山好信の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足りる。そして、本件土地を上告人の先代島村忠興から小作していた橋本庄太郎がいわゆる農地解放後に最初に地代を支払うべき時期であった昭和二三年一二月末にその支払をせず、これ以降、右忠興らは庄太郎が本件土地につき地代等を一切支払わずに自由に耕作し占有することを容認していたことなど、その確定した事実関係の下においては、庄太郎が遅くとも昭和二四年一月一日には右忠興らに対して本件土地につき所有の意思のあることを表示したものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官園部逸夫 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人蔭山好信の上告理由

原判決には以下に述べる様に、六点にも亘り、明らかな法令違背、理由不備、経験則違背の違法が有り、破棄を免れない。

第一点(占有形態について)

一 原判決は被控訴人(被上告人)の予備的請求原因として、原判決第二、一、(二)に「庄太郎は昭和二二年一二月以降、本件土地についても自創法による売渡を受けたとの理由から、それまで貸主であった忠興や登記名義人の徳男に従来支払ってきた小作料等を右のように売渡を受けた他の土地についても支払をしなくなったのと全く同様に、一切支払わなくなりその占有をし耕作を続けた。忠興らはそのことを知りながら何ら異議を唱えなかった。よって庄太郎は、いわゆる農地解放後最初に小作料を支払うべき同月三一日に忠興ないし徳男に対し、本件土地につき所有の意思あることを表示した。」旨を事実摘示しながら、その理由三においては「本件土地付近の他の多くの土地の最終の農地解放が行われた昭和二三年一二月二日後に、最初に地代を支払うべき時期であった同月三一日においても前示農地解放の様に、本件土地及び前示農地解放になったすべての土地についてその支払をしなかった。」旨認定し、更にその六において、「被控訴人の控訴人に対する本件土地の時効取得を原因とする移転登記手続請求は、昭和二四年一月一日時効取得を原因とするものとして理由がある。(被控訴人の予備的請求に関する主張は、以上の事実主張を包含するものと解される。)」とも判示している。

二1 まず、右判示には法令解釈の誤り、理由不備、弁論主義違背の各違法が存する。

原判決の認定する様に訴外橋本庄太郎が昭和二一年まで本件土地の賃料を支払っていたとしても、本件土地が同訴外人に売り渡された形跡も無く、且つその買受け代金が支払われた事実も無く、昭和二二年以降における同訴外人の占有態様には何等の変化も無く、単なる債務不履行状態が継続していたものである。

かような状況の中で、占有者の内心の変化のみをもって他主占有から自主占有へ変ったと認定するのは、およそ占有の形態を権限の性質により客観的・外形的に判断しようとする民法の解釈を誤っている。

2 そもそも、最高裁判例(昭和五七年(オ)第五四八号、昭和五八年三月二四日第一小法廷判決)によれば「所有の意思は占有者の内心の意思によってではなく、占有取得の原因である権限又は占有に関する事情により外形的客観的に定められるべきものであるから、占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権限に基づき占有を取得した事実が証明されるか又は、占有者が占有中、真の所有であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情が証明されたときは、占有者の内心の意思のいかんを問わず、その所有の意思を否定し、時効による所有権取得の主張を排斥しなければならないものである。」とされており、本件においては訴外橋本庄太郎の占有取得原因が他主占有であることには争いなく、右判例によれば上告人の証明責任は尽くされていると考えられ、更に後段の要件についても後述する様に、被上告人や橋本なかが所有者であれば通常とらない態度を示したことまで主張、立証(第二点ないし第四点)している。(その一部については主要事実ではないとして陳述が許されなかった。)

したがってそれだけで被上告人の自主占有性は否定されなければならないところ、原判決は「控訴人(上告人)が賃料を請求していた旨の主張を認めるに足りる証拠はない。」としたり、「控訴人(上告人)が昭和四八年前に庄太郎らに本件土地の所有権を主張していたと認めることはできない。」などと判示し、あたかも上告人にかような点の立証責任が有るかの如き体裁を取っている。

これは原判決が所有の意思に関する民法第一八五条、同法第一八六条の解釈を誤り、且つ、前記最高裁判例の結論を誤解したがためのものであり、かように明らかな法令解釈の誤りの有する原判決の破棄は免れない。

ちなみにほとんど同種事例である東京高裁昭和五四年(ネ)第二五二六号事件昭和六〇年二月一四日第一四民事部判決は、前記最高裁判例を尊重し、占有者が賃料を支払わぬという事実を認めながらもその自主占有性を否定しており、原判決も右高裁判決と同様の結論をもたらすべきであったと考えられる。

三 原判決は前記の様に認定した付加的な事情として、「南河原村における最後の農地解放が行われたのは昭和二三年一二月二日」である旨断定しているが、右の様な事実は存せず、これが歴史的事実に反するにもかかわらず、如何なる経緯により、且つ、如何なる証拠によってかようなことを認定できたのか、その理由は何等示されていない。(むしろ証拠としては、第一審における証人吉田良平の供述第二項によると、南河原村における農地解放は昭和二六・七年頃終了したことがうかがえる。)

四 原判決は、被上告人の「昭和二二年一二月三一日に黙示的に所有の意志を表示した。」旨の主張中に「昭和二四年一月一日に所有の意思を表示した。」旨の主張も含まれるとしている。

しかしながら、右判示は売買の様に当事者間に何らかの外形的な事実が存在し、その時期が何時であったかという様な場合であるならともかくとして、本件の如き外形上何等の変化の無い場合において、ある一定の時期に黙示的に自主占有への変更を表示したとさえ主張すれば、その後のすべての時期における自主占有の表示の主張として捉えることができるということを認めるものであり、極端に言えば、他主占有者が占有開始時点において賃料を支払いながらも「自主占有であった」旨を主張しさえすれば、後日賃料を支払わずに債務不履行となることにより、それだけで何も主張しなくてもいずれかの時点で自主占有に変わったことの主張があったと認めるようなものであって、占有開始後すべての時点において争うことを要求するものであり、真摯に訴訟活動をしている事件関係者に不測の損害を与えることとなると共に不可能を強いることにもなろう。

他主占有から自主占有への変更という事実は、本件紛争のまさに根源的なものであって、その時期に誰が、どの様な行動に及んだかということは極めて重要な主要事実であり、原判決はかような点についての解釈を誤り、弁論主義を逸脱した事実摘示、事実認定を行ったものである。

尚、南河原村における農地解放終了時も主要事実であるとするなら、この点に関しても原判決は当事者の主張していない事実を証拠も無く認定していることとなろう。

第二点(上告人の地代要求について)

一 原判決は理由二、4の「控訴人(上告人)は昭和五一年頃から被控訴人(被上告人)に、地代を払わないなら本件土地を返還するように要求し、そのことを当時橋場自動車商会に勤務していた磯川登志に聞いていた。」旨認定しているが、訴外磯川登志が橋場自動車商会に勤務したのが昭和五一年頃からであり、同訴外人が勤務してから、上告人が被上告人に毎年盆暮の時期に地代を請求していたとするなら、同訴外人が勤務する以前も請求に来ていたと見るのが自然であると考えられるところ、何故かことさら同訴外人の勤務開始時から上告人が地代の請求を行い始めた旨の事実認定をしている。

二 「昭和五一年から」と断定した理由は不明であり、到底合理的な心証形成とは考えられないのであるが、そもそも磯川訴人は原審の法廷において「本件土地を借りているということは誰から聞いたのですか。」との問いに対し、「橋本茂から聞きました。」とはっきり答えており、更には、「島村の地代の請求に対して橋本茂は何と言っていましたか。」との問いにも「『そのうちにね。』と言っていました。」と答えている。

かような供述が存在するにもかかわらず、(しかも原審はそれを目の当りにしている。)それでも被上告人の自主占有を認定している原判決の事実認定は、到底適法なものとは認め難く、経験則に違背し、自由心証主義を逸脱しているものである。

第三点(客土に対する異議について)

一 原判決は理由二、4において、昭和四八年暮に庄太郎と被控訴人(被上告人)が、本件土地の一部を被控訴人が経営する橋場自動車商会の廃車置場として利用するため客土として埋立てたが、その直後に控訴人は、庄太郎と被控訴人に対し本件土地は島村家のものであると抗議した旨認定しているものの、庄太郎や被上告人が右抗議に対してどの様に反駁したかについて全く触れず、むしろ前記第二点で指摘したようにそれ以後に上告人からの賃料請求があった旨認定している。

二 被上告人らが、真に本件土地が被上告人の所有物であると考えていたのであるなら、当然客土途中における上告人の抗議に対して猛烈に抗議するなり、訴を提起するなり、所有権者としての行動に出てしかるべきものと思料されるところ、かような様子は全く見受けられない。

更には、その後に上告人が賃料の請求に来たのであるから、当然のことながら被上告人はより一層本件土地の所有権を主張し、その時点において本件紛争が顕在化されなければならぬところ、被上告人らが何等かの権利主張をした形跡は見受けられない。

三 これは、被上告人らが他主占有者であったがため、積極的な行動に出られなかったと見るのが極く自然で、経験則に合致する認定であり、これに反する原判決の認定は合理性を欠いたものである。

第四点(橋本なかの行動について)

一 原判決は理由四末尾に原審における証人橋本なかの証言中には「村会議員の橋本忠雄が控訴人のところに『もう一度貸してやってくれ。』と言いに行ったのは、私が頼んだのである。」旨の供述がある。

この供述については、「甲第二四号証の一及び当審における同証人の証言によっても、その趣旨が明らかではないものの、仮にそうしたことがあったとしてもその時期は、前記の時効完成後で紛争が顕在化した本件訴提起の頃である(控訴人本人尋問の結果)のであって、以上の認定を左右するものとはいえない」旨認定している。

二 しかしながら証人橋本なかは「熊谷での裁判のとき、私の質問につり込まれて思わず答えたということがあるのですか。」との問に対して「いいえ、そういうことはないと思います。」と答え、「実際坂本に何を頼んだのかという私の質問に対して答えたのですね。」との問にも「そうですね。」と明確に回答しており、かような問答からすれば経験則上橋本なかが坂本忠雄に何を依頼したかの趣旨は明らかであると解されるところ、原判決がその趣旨を不明確としたのは極めて不可解である。

そもそも「もう一度貸してくれ。」ということは従前も借りていた(他主占有)と捉えるのが経験則に照らして合理的な解釈であり、この点は時効期間経過の有無にかかわらず、被上告人の他主占有を裏付ける極めて重要な事実である。

しかるに原判決は、明々白々な橋本なかの証言をことさら不明瞭なものと決め付け、尚且時効完成後の紛争が顕在化した時点での行動であるからとの理由にならぬ理由をもって退けているが、かような原審の認定が経験則を逸脱し、自由心証の範囲を超えた違法なものであることは明らかであり、且つ、理由不備の違法も存する。

第五点(橋本庄太郎の行動について)

一 原判決は理由二、3において、「庄太郎は妻橋本なかに本件土地は第一回目の解放の終わりころ、島村の方が少し待ってくれということで解放にはならず、第二回目のときに解放になったと告げた。」旨認定している。

二 右の点については、上告人が第一審からしばしば主張している様に、政府の自創法に基づく農地買収処分は、国家が公権力をもって農地の所有者から農地の強制買上げを行うものであって、私人の意思を反映させること、ましてや買収の時期をずらすことは不可能なものである。

かようにそもそも不可能な事実を当初から農地委員として農地解放実務に携わり、かようなことが不可能であることを熟知している訴外橋本庄太郎が、敢えて妻に右事実に反する虚偽の事実を告げるであろうか。

ましてや橋本庄太郎は本件土地の購入代金を支払っておらず、農地委員として本件土地が解放になっていない事実も熟知しているのであるから、同訴人おいて「解放になった。」と告げることすらする筈が無いと考えられる状況の中で、ことさら「二回目に解放になった。」と告げなければならない理由は何か。

三 経験則上異様な認定であるにもかかわらず、第一審判決も原判決もたやすく前記事実を認定しているが、到底合理的な事実認定とは認め難いところである。

第六点 〈省略〉

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